◆東北関東大震災の被災者の方々に謹んでお見舞い申し上げます

日本家族心理学会 会長 大熊保彦

今般の大災害に遭われ、無念にも亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、今なお困難な生活を送られている方々に心よりお見舞い申し上げます。
こうした状況に対し、学会としては、とりあえず、以下の対応を致しました。
  1. 被災地在住の会員に安否確認メールを配信
     秋田県を除く東北各県、および茨城県に在住する90名の学会員に対して、お見舞いと安否確認を兼ねたメールの配信しました。そのうち20名の会員から無事であるというご返事をいただきました。また、会員からの許諾を得られた場合には、ご返事の内容を以下に掲載しました。
  2. 心理的支援のための情報収集と発信
     情報収集については、豊富で確度の高い情報が得られるネットワークを学会独自で有しているわけではないので、遺憾ながら不十分と言わざるをえません。その意味では、各会員からの情報提供や要望を是非学会にお寄せいただきたいと思います。それを基に、ホームページで情報を発信していきたいと考えています。  さらに、会員の皆さんに速やかに情報をお届けするために、できるだけメールアドレスを学会にお知らせください。あるいは、FAX番号でも結構です。
  3. 他団体との連携
     一般社団法人・日本臨床心理士会 と一般社団法人・日本心理臨床学会が中心になって設置した東日本大震災心理支援センター、日本心理学会が活動を始めています。こうした活動に積極的に協力・関与したいと考えています。

◆会員の皆様の安否確認について
日本家族心理学会では 被災地の会員様にご連絡をさしあげております。
ご連絡のつかない会員様の安否を心配いたしております。 もしホームページをご覧になりましたら
学会事務局メールアドレス jafp-office@heart.so-net.jp (@を小文字にしてお使いください)
電話 03-3812-1575 FAX 03-5840-7014
までお知らせ願います。




◆被害に遭われた地域の会員からのメッセージを下記に載せております。
※ご本人により許可された範囲内の内容に限って転載しています。また、段落等の体裁は私が編集しましたので、原文と必ずしも一致していません。

被害に遭われた地域の会員からのメッセージ


※ご本人により許可された範囲内の内容に限って転載しています。また、段落等の体裁は私が編集しましたので、原文と必ずしも一致していません。
  1. 福島県会津地域にある*病院にて、心理士をしております*と申します。
    メールは拝見していたのですが、多数の被災者の方を(精神科)病棟に受け入れたことによる「職場の慌しさ」、余震の継続や原発問題の落ち着かなさ、ガソリン供給の遅れなどによる「不安感」、「やる気のあがらなさ」、現状で心理士としてできることがうまく見つけられない「無力感」(外来は休診。患者さんの状態が落ち着かない、病棟全体の雰囲気が落ち着かないことから、現職の主な仕事である心理検査ができにくい状況。病棟で患者さんの調子を聞いたり、看護師や作業療法士の手伝いはしていた)などから、なかなか返信をするまでにいたりませんでした。 私がいる会津地域は、震度5ほどで、非常に大きく長い揺れはありましたが、建物の被害も少なく、電気、ガス、水道というライフラインはまったく問題がでませんでした。
    ただ、先週まで1週間程度続いたの食料品不足(主に米、パンなど)があり、現在は、13日から続くガソリン不足が、生活上の悩みの種です。(通勤は徒歩のために問題はないのですが、放射能汚染が拡大してきてしまったら、ガソリンがないと、いざというときに逃げられないのではないかという不安感が 、ずっと頭の片隅にあり、ストレスになっています)
    仕事は、引き続き、病棟で震災の影響で不安定になっている患者さんはいないか、話しかけたり様子を見たりしつつ、他院にいる先輩から「サイコロジカルファーストエイド」などを教えて頂き、やれることを模索している段階です。
    この点に関しまして、何かご助言頂けると嬉しいです。
  2. 地震直後、大学では、帰れない学生とアパートの学生(電気水道ガスは断たれ、食料も入手困難な中で、余震も頻発している状況)に避難所として開放しました。千二百人の学生が集まりました。当初は災害用の備蓄のカンパンと学内コンビニより提供の飲料水を提供、翌日からはアパート学生に米や食材を持ち寄ってもらい、プロパンガスを使って炊き出しを行いました。3日目午後には電気が復旧し、地方へのバスも動き出したため、帰省先に避難・疎開させることにしました。ふりかえると、大勢で避難し食事もできて、教職員に守られた中で仲間と支え合えたことで学生は安心感があったようです。災害によるメンタル面への影響を軽減するのにも効果があったように思われます。
    地震翌日から、学生の安否確認作業を始めました。大学では、深度5以上で作動する緊急時安否確認システムを導入し、学生にも携帯メールを登録させていましたが、想定を超える地震に大学の情報システム自体が機能しなくなり、全く作動しませんでした。そこで、携帯メールを活用し、避難所の学生に、友だちに安否情報を大学に寄せるように送信をお願いしたところ、避難所以外のたくさんの学生から安否が寄せられました。また、ゼミ、体育会や文化会のサークルを通して把握するようにしました。しかし、大津波の被災地の避難所にいる学生には、携帯電話・メールも通じず、安否確認に手間取りました。携帯電話が通じるようになったのが一週間以上経ってからで、ほとんどの学生の安否が明らかになるのに十日かかりました。
    今は、亡くなった学生、学生本人は仙台にいて無事でも家族が大津波で行方不明になったり、家財が流されたりなどで、ショックを受けている学生が出てきています。大津波と原発事故で避難所生活となって苦しい生活を送っている学生も結構おり、新学期を迎えられるのか不安という声も聞かれます。
    今後はそうした学生の対応になると思われます。
  3. 東北大学の横谷謙次です。仙台市青葉区に住んでいます。家具や食器は大半がつぶれましたが、私自身は怪我なく過ごしています。今は大阪に避難していますが、いったん仙台に戻り、4月から新潟にいます。
  4. 筑波大学の佐藤純と申します。メールをいただき、ありがとうございました。当方は無事です。ご心配ありがとうございました。
  5. 安否確認をいただきまして感謝申し上げます。青森市内は生活の不自由は若干あるものの、特に大きな被害はみられません。ただ、現在学内では、地元が被災した学生の対応に追われておりました。
    なかなか全貌があきらかにならず、また原発の動向なども気になりますが、ひとつずつ対応していきたいと思います。ありがとうございました。
    青森明の星短期大学子ども学科 鷲岳 覚
  6. 東北大学教育学研究科の浅井継悟です。
    私は、地震があった日は東北大学構内で被災し、2日間近くの避難所に身を寄せたのち、自宅に戻りました。幸い私自身も、周りの友人、知人も怪我がありませんでした。
    現在私がすんでいる地域は、ガスの復旧はまだですが、電気、水道が復旧しており、ほぼいつも通りに暮らすことができています。
    ただ、私が今回の震災で一番つらかったのは、遠方にいる知人からの不正確な情報でした。原発の問題が浮上してから、報道では言われていないけれども放射性物質の影響は200kmまでおよぶから、避難地域に指定されていない仙台も危ないから外に出てはいけないと言われ、万が一外に出ることがあれば、着ている衣服をすべて脱ぎ、シャワーを浴びるように言われました。また、放射性物質がいかに危険かについても教えてくれました。
    私もこのメールを見た当初は、動揺しておりこの情報を信じ、外出せずに自宅にいました。しかし、食料などを買いに外出しなくてはならず、外出のたびに放射性物質のことが頭をよぎり、非常にストレスを感じました。
    時間が経つにつれ、私自身も冷静になり、この情報は誤っていると気付けましたが、信頼している知人からの情報ということもあり非常に残念な気持ちになりました。知人も私を苦しめるために、このような情報を流したわけではなく、被災地にいる私のためになればと情報を流したことは理解できるのですが、まさか不正確な情報一つで、自分がここまでストレスを感じるとは思いませんでした。
    今回の一件から、自分が相手に与える情報は本当に正確なのかどうか、例え正しいと思っても、情報を与えられた相手はどのように思うのかについて、十分に考えなければならないと感じました。
    まだまだ余震が続き、安心できない日々だとは思いますが、多くの方にとって一日でも早く心休まる日が来ることを祈っております。
  7. 自宅の家屋は大きな痛みはなく無事ですが、室内は本棚、食器棚等が倒れ、あらゆるものが壊れ散乱状態でした。*市は昨日(23日)水道が回復いたしました。 11日当日は、*市の旧県庁の3階で勤務中で、幸い当日は怪我はなく、揺れが収まった後、非常ベルの中を数人をせかせて屋外に退避しました。広場での揺れも長く続きましたが、広場に避難直後から、ワンセグで状態を把握できたものの、映像に呆然としました。24キロ離れた自宅に帰宅するのに5時間を要し、その間情報は車でのワンセグ放送で受信しました。 17日から、相談業務を開始しました。特別な相談内容はなく、平常から不安定な精神症状を示す方の(リピーター)不安な電話が繰り返されただけでした。
    23日の勤務(病院)では、*県の*に並ぶ海岸、*で津波に胸まで漬かって、かろうじて助かったという方が、興奮の残る中を夢中で沢山のことを話してくださいました。当日私たちも時間を十分にかけてお聞きしないといけないのではないかと、カルテから推測しておりましたが、子どもの症状は置き、父親の気持をお聞きしていました。中で一つだけお伝えしたいことがあり、今回ご報告することにしました。
    後片付けをする中、40キロのものを両肩で支えたり、25センチものヘドロを除去したり、へとへとで体力も気持も落ち込んでいた時、ボランチィアさんが来てくれたものの、頼めなかったと言われました。「だって、あんなさっぱりした上下真白な服装で、ボランチィアですと立っていられても、頼めませんよ」と訴えられました。
    これは一例ですが、この方のように、話せる場が持てた場合は、しこりを残しませんが、訴える機会のないままの方は複雑な気持を抱えて過ごされるようになるのでしょう。 被災者の気持は本当に疲れてデリケートになっています。たとえ、悪気はなくとも、われわれは決して無神経な振る舞いはしてはならないということを肝に命じておいたほうがいいと思います。服装ですらそうなのですから、不用意な言葉は慎まねばならないと思います。何も言わない人が一番傷ついているということも理解しなくてはならないと思います。 実は私も阪神大震災で、実家は全壊、長い避難生活をしました。でもこれまでその話をしたことはほとんどありませんでした。
  8. お見舞いのメールありがとうございます。
    3月11日に起きた震度6強という地震は、これまでに体験したことのない恐怖でした。 幸い、家族も皆無事で、自宅も職場(宮城県女性相談センター)も損壊を免れました。
    しかし、津波の被害を受けた地域は、潰れた家屋の上に車が逆立ちし、その上に舟が乗かっているという、まるで現実とは思えないCGのような景色です。穏やかで美しかった海岸線は、がれきの山と化し、見る影もありません。
    いまだに、一日に何度も余震があり、私を含め、周りの者に「地震酔い」の症状があります。地震酔いは、身体的な要因に加え、「また、余震がくるのではないか」という不安感からくると聞きました。被災の少なかった地域でさえ、目には見えないストレスを抱えていますので、家族も住むところも職場も失い、避難所生活を余儀なくされている方々は、どのような思いかと存じます。救援にいらした精神科医の方は「東北地方の人は我慢強く、なかなか症状を訴えないので、ケアが難しい」とコメントしていました。
    学会から安否確認のメールをいただき、正直、驚くとともに、自分の存在を心配してくれる方がいるということをとてもうれしく思いました。ひとりでも多くの被災者の方に、「大変だったね。心配しているよ。」というメッセージを送って頂ければと思います。きっと力になります。
    保坂ひとみ(宮城県仙台市)

被災地会員からのメッセージ